今、コロナで大騒ぎの世の中だけど、子どもたちが幼かった頃、大腸菌のO157が流行した時期があった。
私の記憶だと確かカイワレ大根が悪者にされ(事実かどうかわからない)、流行った地域では塩素系の洗剤で手を消毒したり、熱湯に近いお湯で手を洗ったりして手の皮がむけて大変だとニュースでもやっていた。
私の地域ではO157は出ていなかったが、皆手洗いには気を使っていた。
私も子ども達には石鹸を泡立てて流水で手を洗うよう指導していた。
ある日。私が洗面所に行くと、義父が長男に手洗い指導をしていた。
それは
「水をジャージャーと流して手を洗うもんじゃない!桶に水を溜めて、こうやってすすげ!」
というものだった。
え?O157が流行っててニュースでも連日やってる時に溜めすすぎで手を洗え?
まだ若くて義父に意見できなかった私は、義父が去ってから子どもにこっそり
「あれはダメよ。流水で手を洗わないと!」
と教えた。
すると長男は
「うん、先生も水出しっぱなしにして洗えって言ってた!」
と教えてくれた。あの時ホンマに義父は何を考えてるのだろうと今も思い出したら腹が立つ。
次。まだ携帯電話が今みたいに普及していなかった頃。
義弟が大学院を卒業し、実家に戻ってきた。
義弟が持っていた電話の権利をダンナが、
「2階に電話を引こう」
と言ってくれた。寺の電話で実家にかけることに遠慮があったから。
その頃、毎月NTTからどこに何分かけたか書面で送られてきたこともあり、義母がにらみを利かせていたから。
でもいざ電話を引こうとしたら義母が猛烈に反対しだした。
「なんで電話をつける必要があるの?そんなのいらないでしょ!!」
あとごちゃごちゃと言われたけど覚えていない。最後の言葉だけは理不尽な言葉だったから覚えている。
「あんた達、自分の子どもが電話つけたいって言ったらつけるの?!」
はぁ?私たち、成人して結婚した大人なんですけど?なにその屁理屈!
結局義母がぎゃんぎゃん怒鳴ってうるさかったので断念した。
ダンナは私に申し訳なさそうにしていたが、その後ダンナが役員をする事になり、事務作業していた3階にFAXをつけることになった。
私はFAXからこそこそと実家に電話していた。
義母は私が実家と連絡をとることが嫌だったのだと思う。
役員が終わると
「もうFAXは要らないでしょ?」
と速やかに撤去された。
ダンナはうるさい義父母にはほぼほぼ抵抗しない人だった。
でも、撤去されてから数ヶ月後。PHSが出始めた。
きっと私、どのお母さん達より早く持ち始めたと思う。
黒いピッチをダンナが持たせてくれて
「これで実家と連絡取って」
と言ってくれた。ちなみにピッチを持っていたのは私だけでダンナは持っていなかった。
その後、黒から青いピッチになり、携帯になった時も持っていたのは私だけ。
ダンナが持ち始めたのは寺関係の人たちの多くが携帯を持ち始めてから。
そう思えば、ダンナも気を使ってくれてたなぁと思う。
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