【同居の愚痴】若かった時の話その8

いざこうやってブログを書こうとすると、なかなか思い出せない事がよくあるので、フラッシュバックした時など、スマホにメモを心がけている(苦笑)。
未だにフラッシュバックは起こる。そうすると瞬間的に激しい怒りや憎しみが湧き上がってくる。そういう感情が湧き上がってくるのは本当は嫌なんだけど。

私の結婚生活は随分と窮屈だった。いちいち行動を管理され、監視された状態だった。

「買い物に行くの?何時に帰ってくる?」
「どこに行ってたの?」

これは私が大爆発を起こすまで25年も続いた。
でも自分は好きな時に出かけ、どこに行くかももちろん告げない。
また、結婚した時に義母に

「友だちは作りんさんな。友だちなんかいらんからね」

と言われたためか、私が初めて友だちと晩ご飯を食べに行った時など、ものすごく機嫌が悪かった。もう子どもたちは小学生だったし、ダンナにお願いして出かけたのだけど、夜の10時に帰ると翌日まで義母には無視された。

息子が高校生の時。運動部の飲み会に行った時は1次会で一旦帰り、義父母の部屋に近い勝手口から

「ただいま帰りました」

とアピールし、そのままダンナや息子と娘に小声で

「二次会に行ってきます」

と言って義父母の部屋から遥か遠い、倉庫から出かけた。
まぁ、この頃には私も少しは強くなっていたため、ペロッと舌を出して二次会に行っていた。

「卵買いに行ってきます」

と自転車で出かけ、飲み会に行ったこともある。これも繁華街が近いからできたこと。でも、まるで高校生みたいにコソコソと出かける40代ってどうよ?

ダンナも映画のレイトショーに行く時は倉庫からコソコソ出かけるし。
まぁ、私はもう今では堂々と勝手口から飲み会に出かけ、堂々と勝手口から入って、堂々と風呂にも入るけど(※1)。

(※1 2年前まで『風呂は10時半までに入れ!』と言われていた。台所や風呂の水を出す音が義父母の部屋に響くため)

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【同居の愚痴】今日の愚痴

今日は早朝から6時間のバイトだった。
数カ月前からいつの間にか週6日入るようになったバイト。
しかも全部早朝。朝、超弱い私が週6日も必死になって起きる意味がわからなくなってきた今日この頃(苦笑)。

今日はダンナと息子は仕事の関係で晩ご飯は外食。
婆はプール。
そうなると食べるのは爺と私だけ。
絶対一緒には食べたくないし、食べない!

で、バイト終わって家に帰ってから婆に言った。

「今日晩ご飯食べるの、お義父さんだけですけど、デパ地下のにぎり寿司パックでいいですか?」

すると婆から想像した通りの返事が。

「あんたは食べないの?」

「私ひとりなんで、別にわざわざ作ろうとは思いませんし!」

と、即座に返した。

2年前私が大爆発を起こした時、婆は

「私がプールの時、爺さんの事はちゃんとしてる」

と厚かましく言ってのけた婆。私は爺の為だけに料理をしたこと100回以上あるし、何なら後片づけも全部してるのに、よくあんなことが言えたもんだと呆れた。
それ以来、爺だけの時は私はこっそりひとりで食べるスタンス。爺のご飯も食材は買ってきてあげるけど、調理は「ちゃんとやってる」と言う人がちゃんとやればいい。

とにかく婆にはしっかり認識しろと思う。爺と2人で晩ご飯を食べる気はさらさらないということを。
婆はデパ地下のにぎり寿司パックをしぶるようなことを言うので

「じゃあ、何にしますか?言ってもらったら買ってきますから」

と冷ややかに言うと

「にぎり寿司でいいわ」

せやろ!あんたも作るの面倒くさいやろ!プールに行く前に手の込んだ料理したないやろ!
10年前はデパ地下のにぎり寿司でも専門店の高いものを爺に買うとか言って「二千円だけでいいわ」とか請求されたけど(その時は爺が寿司食べたいと言っただけで私らはご飯ちゃんと作ったからホンマに糞かと思った)、今はデパ地下でもスーパーの方の千円ちょっとのパック。それでも大盤振る舞いや!

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【コンビニバイト】ちょっとしんどくなってきた

早朝のバイトはほぼほぼ相方さん(姑クラスさんより年上っぽい)と2人がおおいのだけど、最近辛くなってきた。

オーナー店から変わってきた相方さん、今思うと始めは遠慮気味だった。
それが最近は結構グイグイ・・・。
それはいいんだけど、ちょっと面倒くさい。あまりに借字定規。

先日プラス違算を出してしまって、その人がなかなか覚えられない印象の薄い人だったので深夜の人と防犯カメラを見直していて、相方さんにも見てもらおうと思ったら

「社員さんがいないときに防犯カメラを見ない方がいいですよ」

と一言。社員さん来るの待ってたらお金返せないからと言うのにその一点張り。
深夜さんと顔見合わせてお手上げ状態。

で、9時に来た副店長に確認したら

「やたらめったら見るのはダメですけど、必要な時は遠慮なく見てください」

と言われた。そうでしょうよ〜!!ま、副店長にそう言われた事は相方さんには言ってない。

長年同居してると、年上の人の瞬間的な感情が多少わかると言うか。後から副店長が必要な時は防犯カメラを見ていいと言ってたと伝えたとしてもちょっと嫌な顔されることは容易に想像できるので言わない。そうなったら自分がまた不快になる。

昨日はレジ下のゴミ袋をやりかえていたら相方さんが横から

「ゴミ持って行くんで貸してください」

と。でも新しいゴミ袋をセットする時にまとめたゴミ袋使って、空気を抜くので

「ちょっと待ってください。セットしてから・・・」

というのに

「いやいや、ゴミ袋持って行くから」

とうるさい。だから!ゴミ箱にぴったりサイズのビニール袋がそのままだと空気が入って浮き浮きになってしまうので、ゴミが入ったビニール袋を一旦入れて空気を抜いてぴったりにしたいと言ってるのに、そこで押し問答。
大体私がやってるのに横やり入れなくてよくない?結局相方さんはプイっと行ってしまうという。

そして、発注業務。相方さんは30分前から来て、勤怠つけずに発注をやっている。私は30分前に来て、朝ご飯食べながらスマホいじってる(笑)。
それを相方さんは

「オーナー店の時はこんなの普通ですよ。1時間前に来てやってる人もいたし」

というけれど、そこ厳密に言うと、やっちゃダメな事。サービス残業やん。
発注業務も立派な仕事。それを勤怠付けずに勤務時間外にやるのは本当はダメ。
そこは借字定規ちゃうんかい!とツッコミを入れたい。
で、そんなこと言って、私にもやれみたいな空気出すのはやめて欲しい。
自分のペースに私を巻き込むな〜〜〜〜!

姑クラスさんが怒って帰った時も全面的に姑クラスさんをかばってたし、婆はやっぱり婆の味方。
そう思って私も気を使いながら話すようになったけれど、近々店長が移動になるので送別会をするために

「聞きました?店長変わるんですよ。それで送別会するので」

というと、明らかに気に入らない表情。『私は聞いてない!』みたいな。
相方さん、私が仕事の事で「こんなことがありました」と言うと、ちょっと嫌な感じで「あ、知ってます、知ってます」みたいな態度がよくあるので、敢えて「聞きました?」と聞くと知らなかったもんだから・・・。

で、そこから

「店長本人から聞いたんですか?」
「私は本人から聞いてないけど、店長に言っていいのかしら」

言ってよくない?結構な人が聞いてるし!で、送別会企画するから貼り紙見てくださいねと言うと、なんかちょっと嫌〜な返事。

でも絶対送別会来るんやから気持ちよく返事してくれたらええのに!

他にも細かいことがいくつかあるんだけど、朝の3時間だけだからまだましよね。

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【同居の愚痴】過剰反応

私の早朝のバイトは週6日。1日だけが休み。その休みだけはゆっくり寝たい。
つい先日の休みの日も遅くまで寝て、10時頃1階に下りて行ったら、年寄りが2人、大騒ぎしていた。

どうやらダンナに連絡取りたいが、電話に出ないらしい。
お参り先に電話したらもう家を出たとの事。

そんな中、私は洗面所に向かうと、爺は表の方に行った。
私と爺が入れ違い。もう爺は声の届く範囲にはいない。それが明らかにわかる状態で婆が一言。

「どこかで朝ご飯でも食べてるんじゃないのぉ?」

明らかに嫌味。私が遅くまで寝ていたからだろう。昔もあった。
ダンナが電話に出ないと、「女がいるんじゃないの?」と言ったことも1回や2回ではなかった。

ダンナの位置情報はわからないが、私のiPhoneから「iPhoneを探す」アプリから「サウンドを再生」できるので、マナーモードにしていても音を鳴らす事ができるので、早速鳴らしてみた。

ダンナから電話。
ダンナに用件を伝え、どこにいるのか聞くと、お参りが終わって帰ってきている途中らしい。
電話を切ってから私は婆に言った。

「今お参りから帰ってきている所で、どこかで朝ご飯食べているわけではないそうです!!」

そう言うと、婆が言い返してきた。

「そんなけんか腰に言わなくていいじゃないの!どうしたの!」

どうしたのって、それならあんた、今までどうしてたんですかね?けんか腰の物の言い方は婆の十八番でしょうよ!

「は?お義母さんから散々けんか腰に言われてきましたけど?あれはどうかしてたんですか?いや、びっくりしますわ!どんな顔してそんなこと言うんですか!自分がけんか腰になるぶんでも、嫁に言われたら腹立つんですよね?大体、一言余計なんですよ!」

婆はそそくさと部屋に退散。
2年前までは私は我慢して滅多に言い返さなかったから今回も言い負かせると思ったのかも知れないけど、もう黙っていない。

私はダンナが帰ってきてからも婆に聞こえるように文句を言った。もう私の怒りは止まらず。

婆にハッキリ言った事はスッキリしたと思っていた。
でもそれは一時的。

間もなく自己嫌悪が襲ってきた。
なんであんなに過剰反応してしまったんだろう?
それはもちろん婆に嫌味を言わせないため。だけど、あそこまで言わなくてもよかったんじゃないか?と。

婆に申し訳ない気持ちは少しもない。
自分はそんな嫌な性格じゃなかったのに・・・という自己嫌悪。

でも、婆も爺も私に対してけんか腰に言ってきても、今まで自己嫌悪に陥った事などない。それはハッキリわかる。
でなければ、私はこんな風になってない。壊れてない。

何度か思い出せないくらいけんか腰に言われた。怒鳴られたこともある。
婆からの電話も怒鳴る事が多かったので着拒にした。
でも婆は自分が悪かったと思った事などほぼほぼないだろう。
これが、お寺に生まれてお寺に育った人間だ。

どうしても割り切れない。

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【同居の愚痴】温度差

婆がぁ・・・!

のつづき。

私は少しドキドキしながら、ダンナに相談した。
自分が電子レンジで温めたのに違うと言い張ったこと、前日自分がもらったと言っていたスイカを覚えていなかった事、水の出しっぱなしが2回あったことなどを例にあげ、

「ちょっとおかしくない?早めに検査とか受けた方がよくない?」

という私にダンナは横になってテレビに視線を向けたまま興味を全く示さない態度。それでも私は食い下がってご門徒のお医者さんに相談しに行こうかと思うと告げるとこちらも見ずに

「は?行けば?」

全く興味なし。
まさかここまで興味を示さないとは・・・!

でも、これって認知症あるあるらしい。
Twitterでも言われていたし、老健でケアマネしていた母の経験からもほぼほぼ最初に気付くのは嫁さん。そして夫や小姑はなかなか気付かないし認めないらしい。

結局私の気持ちも急激に冷めて行き、しばらく静観することに。
所詮私は他人だし。
でも、今までの超クールな態度は少し改めることにした。

認知症進んでも困るし。実家の母に言われた。

「あんたの態度が悪くなったから認知症が早まったんちゃうか?」

と。私もそれはよぎったけど、もしそうだとしても仕方ない。

今までさんざん私をいびってきたわけだし、私は25年間自分のキャパ以上に我慢してきたのだから。我慢をやめたこの2年ほどで認知症が早まったと言われても私は知らない。

自業自得だと思う。私がどう思うか、全く考えずに嫌味言ったりバカにしたり、怒鳴ったりしてきた結果なら仕方ない。

私は少しばかり態度を改めるつもりだけど、2年前までの明るいよく笑う嫁さんに戻るつもりはない。基本的には婆には決して心は許さない。でも少しは普通になろうかと思う。

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【同居の愚痴】婆がぁ・・・!

Twitterではつぶやいていたけど、婆の認知症がどうやら入り口まで来ているモヨウ。

その事に思いがけず自分が動揺しショックを受けていることを認識した。

思い返せば一番始めは流しの水の出しっぱなしだった。1週間から10日ぐらい前に1回あった。その時は少し強い口調で出しっぱなしであることを婆に言った。婆のすっとぼけた返事で『何しらばっくれてんの?』と思った。

でも数日前にもまた水の出しっぱなしがあり、その翌日には冷蔵庫に入っているスイカを見て婆が家族皆に聞いてきた。

「スイカ、誰がもらったの?」

私は黙っていたけど、前日に婆が

「せっかくスイカもらったのに、ひ孫ちゃん今日来なくて残念だわ」

と言っていたので婆が誰か門徒さんから受け取ったはず。内心「え?」と思いながら黙っていた。

そして昼食時、婆が電子レンジに冷やご飯が入ってるのを見て婆が言った。

「誰がご飯ぬくめたの?」

「バーバじゃん」

と息子。でも婆は絶対認めない。

「私じゃないけぇ」

「バーバだって!」

「私はご飯レンジに入れとらんけぇ」

「はい、わかりました、わかりました。違います、違います」

息子はすぐに引っ込めた。

「卵に牛乳を入れるの、いいねぇ。ふわふわになるわ!」

まるで私の発案かのように言うので

「え?卵に牛乳はいつも入れてるじゃないですか。お義母さんも前から入れてますよ」

と言うと、

「私は入れたことないよ」

と、言い切った。私がゾッとしたのはココ。

こりゃヤバいと思った。もう今までの事を考えて、認知症の症状が出始めてきたと。

心の中がザワザワして、ダンナに相談したのだけれど・・・。

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【同居の愚痴】若かった時の話7

若かった時の話

若かった時の話その2

若かった時の話その3

若かった時の話その4

若かった時の話その5

若かった時の話その6

Twitterではほぼほぼ義母の愚痴しか書いていない。
なぜなら、義父は愚痴る価値もないから。
でもblogでは敢えて記しておこうと思う。

義父は結婚した当初から偉そうな人物という印象だった。
アゴが上がって、人を見下すような態度で、私の両親もぞんざいに扱われた。
言うなれば、目上の人にはぺこぺこするが、目下だと思うと偉そうな態度を取る。とても寺の住職だと思えるような人ではなかった。

私の前ではいつも眉間にしわを寄せ、理不尽な事はたくさん言われた。

子どもたちが食卓で宿題をしているので私も一緒に見ていたら

「ここは勉強する所じゃなかろう。ご飯を食べるとこじゃろうが!」

と言われた。無視したけど、自分も食卓で事務仕事するくせによく言うと思った。何が違うんや!

その義父はダンナがいない時を見計らってよく私に文句を言ってきた。

「男に紙オムツを買わすな!」
彼岸中はたとえ1時間でも外出することはならん!」

いろいろ言われたが、あまり覚えていない。でもお彼岸の入りから明けるまで1時間でも外出するなと言った次の秋彼岸、義父は1日ゴルフに出かけた。
1時間はダメだけど1日ならいいのか?

後にこのことを指摘すると義父はあろうことがこう言った。

「ワシには歴史がある」

自分には歴史があるから、お彼岸中にゴルフに出かけても許されるという。

え?お彼岸中に出かけるところをご門徒に見られると体裁が悪いから出かけるなということだったはず。それが「ワシには歴史がある」とはどういうことか?

ご門徒が「老院さんは歴史があるからゴルフに行ってもいいだろう」なんて思うわけ?アホなのか?
「歴史がある」というなら、私だって結婚以来管理され、監視され、嫌味を言われ、自分らの都合のいい時だけ坊守扱いし、理不尽な事を言われてきた歴史があるわ!みんなそれぞれ歴史があるんじゃい!自分だけが大層な人生があるとでも言うのか?片腹痛いわ!

そして逆に忘れたくても忘れられない言葉がある。
義父に何か理不尽な事を言われ(発端は記憶にない)、私が義父に抗議した時のこと。

「私は休みもないし、ストレス溜まるんですよ」

と抗議した私に義父はこう言い捨てた。

「休みなくて当たり前!ストレス溜まって当たり前!」

自分はゴルフに行って休みもあるくせに!
更にこうも言った。

「嫁の分際でワシら(ダンナも含む)に盾突くな!」

「嫁の分際」って?

偉そうに有り難そうに説法する住職の口から「嫁の分際」とか出たらどう?
もう、その人の話なんて聞けない。

まだまだ爺の愚痴はあるけど、今日はここまで。

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【同居の愚痴】若かった時の話その6

その5で書きわすれていたことがある。

義母への誕生日や母の日のプレゼント、はたまたお土産にいたるまで自分が気に入らないと平気でぞんざいに机の上に投げて突っ返してきた話をしたが、プレゼントに困った私はもう何がいいかわからず、3年ほど花にしたことがあった。すると義母は

「花ばっかり!!」

と文句を言ってきたこともあった。もう何をプレゼントしていいのか、苦痛以外の何ものでもなかった。

娘が生まれた時、ひな人形の話になった。実家の母はひな人形を買うのを楽しみにしてくれていた。しかし義母は平気で実家をないがしろにした。

「あんたの実家からつまらない人形が送られてきたら、毎年私が人形の顔見て腹立たにゃいけんし、半分出すから私がひな人形買うけぇね」

せめて「私が買ってもいい?」と聞いてくれたらまだ救われたけど、もう「私が買う」と断言。実家の両親の気持ちなどお構いなし。

これにはさすがのダンナも私に悪いと思ったのか、初節句のお祝いに私の両親も呼ぼうと提案してくれた。お金を半分出しただけでひな人形を見ていない私の両親に気を使ってくれての提案だった。すると、翌日、ダンナがいない時に義母は私にこう言い放った。

「ヒデ(ダンナ)が何か言ってたけど、あんたの両親は初節句には呼ばんから。そんなしきたりないし」

耳を疑った。自分はしきたりを破ってひな人形を自分で買ったくせに、そのことは棚に上げて自分は私の両親にしきたりを押し付けてくるなんて。

これがお寺で生まれ育った人のやることなの?と思った。

しかも義母が買ってきたひな人形の木箱にかけてあるのし紙には両家の名前が書かれてあったが、私の実家の苗字の漢字が一字違っていた。

え?最後の文字、「川」じゃなくて「河」なんですけど?なんで「川」?みたいな間違い。これに義母は悪びれる様子はなく、

「店員さんが間違えたのよ。別にいいでしょ?」

の一言。結局ね、バカにしてるのよ。私が在家出身だから。私の実家が在家だから大バカにしてるの。
でも寺って、在家の人たちに支えられてるのだから、バカにするのはお門違いなんだけどね。

結果、毎年私がひな人形の顔見て『首へし折ったろか!』と思うほど腹立つ事に。
大体、ひな人形に愛着もないし、出したくもない。面倒臭いだけ!

次は義母に自分の物の買い物を頼まれた時の話や、義父から受けた言葉の暴力などを綴りたいと思う。

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【同居の愚痴】若かった時の話その5

若かった時の話

若かった時の話その2

若かった時の話その3

若かった時の話その4
※思い出して綴っているので、時系列ではありません。

1年のうち、義母の誕生日と母の日は苦痛以外の何ものでもなかった。
里帰りのお土産や私ら家族で行った旅行のお土産もそうだった。

義母は自分が気に入らないプレゼントやお土産だと、平気で突っ返してきた。
しかも食卓にポンと投げて

「これ、要らんから。返す!」

悩みに悩んだプレゼントやお土産をぞんざいに扱い、突っ返される気持ち、普通の人ならわかるよね?

そのくせ年1回必ず同じ場所に行く旅行で買ってくるお土産は自分が突っ返してきたTシャツばっかり!ダンナの分と併せると20枚以上。ダンナは義母のTシャツはほぼほぼ着ないので袋から出してないTシャツもいっぱい。
それを去年まとめて実家に送った。

そしてプレゼント。一度はイビザの革の財布をもったいぶってくれたけど、ハッキリ言って色は地味だし、私は自分の好みの財布を使っていたからものすごく迷惑だった。でも本人は

「いい色でしょう?今年は奮発したのよぉ〜。本当は私が欲しかったんだからぁ」

だったら返すから自分で使えばいいと心の中で思いながら受け取った。正直あまり嬉しそうにもできなかった。全然嬉しくもなかったし。

義母はデパートで服や装飾品を買うのが好きで、庶民出身の私には考えられないくらい、毎月服やバッグなどを買っていた。

そんなに寺ってもうかるの?そう思うくらい(でも私はぜいたくできるほどのお金はもらったことがない)。

今思うと、義母はデパートで散財することで店員からぺこぺこされるのが気持ちよかったのだと思う。一緒に行きつけのデパートに行くと、当時入っていたティファニーの店員が「あ、◎×さま、いつもありがとうございます」と言われて得意気になっていたし。

それで私の服も、私の好みなどお構いなしにたびたび買ってきた。

「これ、あんたに買ってきてあげたから。良いでしょう?似合うと思って。安くないのよ。爺さん(実際には義父の名前)にもお礼言ってね」

え?欲しいとも言ってない服を勝手に買ってきて義父にお礼を強要されるって何?しかも義父の部屋に行き、お礼を言っても、義父は『なんのこっちゃ』みたいな態度。これ、毎回だった。

バカみたいに同じようなカシミアのセーターを間を開けて何枚も買ってきた事もあった。全く好みでもないセーター。
見た目はいいが、着たらチクチクして死にそうになるセーターの時もあった。1回着ただけでタンスの肥し。

それだけでなく、義母のお下がりも押し付けられた。若かった私は断る事もできず、仕方なくもらい、仕方なく1度着たがダンナに

「お母ちゃんのお下がりなんか着んな!」

「この服良い服なのよ。あんたが要らなかったらあげる人は他にもいるから」

と言うので、

「じゃあ、要りません」

と言うと、

「なんで?」

と明らかに不快な言い方をされ、結局もらう羽目に。その服も一度も着た事はない。

服を買ってくれるならお金が欲しかったし、まだまだ着られる服をたびたびくれるぐらいならもっとその服を着たらいい。ぜいたくでしかないと思った。

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【同居の愚痴】若かった時の話その4

若かった時の話

若かった時の話その2

若かった時の話その3

私が嫁に来た時から義両親はとても勝手な人たちだった。
もちろん、100%悪い態度だったわけではない。本人達は飴とムチを使い分けてるつもりだったのかも知れない。

でも「こんなことを言ったら嫁さんはどう思うだろう?」という配慮は全くなし。

その3で風呂でシャワーを出す音が響くから風呂に入るのは22時半までとうるさく言われていた話をしたが、子どもたちが小さかった頃、私たち親子は義両親の騒音に悩まされた。

爺は私がどれだけ戸締まりしても必ず戸締まりのチェックを自分でする人だった。それはいいが、2階の寝室の真下ではないが割と近い扉を、これでもか!戸思うほど思い切り閉め、バシン!!というすごい音を立てる。更に本堂と庫裏(住居)の間の鉄の扉も思い切り閉める。何か私たちに腹でも立ててるのか?と思うほど。
それを幼かった子どもたちがやっと寝て、これから束の間の自分の時間だと思った時にやられて、子どもたちビクッ!と目を覚ましてしまう。

婆もそうだった。婆は夜に洗濯をする。
正に寝室の真下の障子を開け、外に干した後、激怒してんの?と思うほど力いっぱい障子をバシン!と閉め、それがまた本当にめちゃくちゃ大きな音で子どもたちがビクッ!と目を覚ましてしまう。

『騒音殺人って、こうやって起きるんだ』

そう思ったもんだった。

義両親は私には文句を言うが、自分たちが言われるのは嫌がる人たち。
それでも一度、戸を閉める音があまりにうるさいので静かに閉めて欲しいと言ってみたが、爺は意に介さず。婆は2日は気をつけていたが、3日目からは通常通り、『激怒してるの?』と思うくらい。障子がそのうち壊れるんじゃないかと思うほど思い切り閉めていた。

特に婆は力の加減ができなくて、何でもかんでもバンバン!恐ろしいほど音を立てて閉めていた。脱衣所のタンスも、部屋の扉も。

よくやられたのは、買い物などの外出から帰り、扉を開けた途端、部屋の扉をバシン!と激しい音を立てて閉められた。

車庫に車を停めているエンジン音が婆の部屋まで聞こえるので絶妙なタイミングでやられた意地悪。

もちろん、「おかえり」の一言もなし。
娘も私と間違えられたようで一度やられて憤慨していた。

若い時の愚痴はまだまだつづく。

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