私の子どもたちはもう結婚してそれぞれ独立。
上の子は京都で働いていて、いずれは帰ってくる。職業柄同居が多い世界だけど、最近は別居して通いのところもあって、できるだけ別居したいと思っている。
その子どもたちの子育ては結構大変だった。
いつか綴りたいと思っていた。当時の手書きの日記は途中でビリビリに引き裂いて捨ててしまったから(苦笑)。
娘のね。『また裏切られた』そう思って引き裂いたけど、『裏切られた』のは私の勝手な思いだったと後から思う。
親の思いを娘に押し付けていたと・・・。
娘は『生まれた時から反抗期』がキャッチフレーズの子だった(笑)。
幼稚園に入るまでの公園では『猿山のボスザル』と言われ、新入りが来ると洗礼と言う名のしばきを入れ、ひとつ上の男の子が
「ボスザルちゃんがいるからあそべない」
と公園の入り口で二の足を踏むこともあった。
娘の公園生活は全く穏やかではなく、私は他のお母さんとおしゃべりする余裕もあまりなく、ただただ娘についてまわった。
幼稚園では同い年でもお姉さんということもあって、ここでもボスザルの威力発揮していた。参観に行くとなぜか他のお母さんからの注目の的。ケンカの仲裁もするし、仕切るし・・・で、参観の度に多少恥ずかしい思いをしていた。
年中の時には担任の先生に
「うちの副担任です(笑)」
とも言われた。先生がいなくてもクラスの全員を整列させ、先生が言いにくいことを迎えに来たお母さんにズケズケと言っていたらしい。たまに園に迎えに行く(うちは園バス利用)と、よそのお母さんから
「ボスザルちゃんに会うのが怖いのよ〜。今日さとし君がこんな悪いことしたよ〜とか言われちゃって・・・」
そんな娘だから小学生になってもクラスの中心で明るく元気に過ごしていた。
地域でも可愛がられ、学校でも校長先生に名前を覚えてもらって(この時の校長先生は結構な子どもたちの名前を覚えていらっしゃった)。
その明るさゆえに嫉まれて意地悪されることもあったが、そんなことには屈しない子だった。
その娘が中学受験をすることになった。
私は公立で良いと思っていたが、義父から
「孫息子は受験ささんかったが、孫娘は受験させるんよのぉ?」
とスゴまれて、当時若かった私は抗えず4年生から塾に行かせることになった。
受験勉強も色々大変だったが、本人が希望する私立女子中学に合格。
庶民出身の私がちょっと引くほどの超お嬢様中高一貫校だった。
しかし合格発表を見て、娘は号泣するほどの喜びよう。
息子の高校受験も同時に終わり、私は一段落したとホッとした。
義父母からのプレッシャーから解放されたと思った。
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