結婚と同時に同居してまず義母に言われて忘れられない言葉は
「友達は作りんさんな。友達なんていらんよ」
ということだった。
寺の仕事は何も教えてくれず、
「そんなことも知らないの?」
と言われる事もしばしばだったし、それどころか無言で機嫌が悪くなる事もしょっちゅうだった。
そんな私も子どもができて、当時流行言葉だった公園デビューも果たし、友達もできた。友達がいなかったら同居生活は無理だったと思う。
でもそんな私でも友達の誘いの8〜9割は諦めていた。
「友達は作りんさんな」
その呪いの言葉で子連れランチに行こうと言われてもなかなかその気になれず、上の子の時には断り続けていた。
下の子が生まれて、その子も公園デビューし、上の子が幼稚園に行くようになってから少しずつ友達とのランチにも参加できるようになった。
でも一度、義母から
「あんた、友達作りんさんなって言ったでしょ!友達なんてね、揉めるだけなのよ!そんなのお寺の人間にはいらないから!」
と激しく叱責されたことがあり、子ども2人連れて新幹線に乗って実家に帰った事がある。どうしても我慢できなかった。
それでも実家の母には
「ヒデさんに相談せずに出てきたのだから、迎えに来てもらわずに(婚家に)帰りなさい」
そう言われて、1週間後2人の子どもを連れて帰った。
ただそれ以降、義母は「友達作るな」とは言わなくなった。
今思えば義母は結局ビビりだったのだと。「弱い犬ほどよく吠える」ってやつ。
結局義母は気が弱いから私にマウント取られたくなくて吠えてたわけ。
でも人を見る目があったなら、私はそんな人間ではないということがわかるはずだけど。
子どもが成長して、部活の保護者会で飲みに行く時も、私は一次会で一旦帰り、義父母に帰った事をアピールし、またこっそり二次会に行く・・・ということもしていた。繁華街が近いからできた技だけど、40過ぎて高校生みたいにコソコソしないといけないなんて・・・本当に情けなかった。
だけど、4年前に爆発してから、私には結構な自由ができた。
もちろん、手放しの自由ではないけれど、友達とランチは飲みに行ったり、旅行にも行けるようになった。
なんで25年も我慢していたんだろうと思う。もっと早く言いたい事を言って、強い態度を取っていればよかったと思う。
そんな私の姿を見て娘は今、婿さんの両親にはマウントを取らせない対応をしている。
これ、ものすごく書きたい。
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